長尾美紀のブログ

全てを賭けて

父と思い出の焼き鳥屋

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今日の話は父との思い出。

 

まず、ここから話そう。

 

私の生まれは愛知県春日井市。小学生の時、父の仕事の関係で名古屋市内に引越し、高校卒業まで名古屋市内に住んだ。

短大は大阪へ。あまりにも居心地がよく、そのまま大阪で就職し、満三年で退社後、名古屋へ戻った。

それから今の夫と結婚するまでの約三年間が父と大人の交流ができた唯一の時間だった。

なぜなら、父は若年性の認知症になり、今はグループホームに入っている。私や兄を認識し話はできるが、何をどこまでわかっているのか、さっぱりわからない。ちなみに母とは離婚している。

 

では前置きはここまでにして、そんな父と飲みに行った店の話をしよう。

 

名古屋の中心部から少し外れた古い店が並ぶ街にそれはあった。

自宅から車で10分とかからない距離だった。

父は水道工務店を経営していた。社長だ。社員は母一人(笑)

よく働く父で、早朝から現場へ向かった。仕事はきっちりする。肉体労働だった。55歳の時胃がんで胃を取るまでは、ムキムキマッチョだった。私のマッチョ好きはファザコンからきている。

そんな父の楽しみは食事だった。

美味い店をいくつも知っていた。

子どもの頃に連れて行かれたのは、台湾ラーメン屋や網焼きの焼肉だった。

今日紹介する店は、焼き鳥屋とでも言うのだろうか。

暖簾をくぐると、一目で広い店だとわかる。元々は市場とかだったのではないか。

そしてこの店にはかなり特徴的な作りがある。店内に島が二つあるのだ。コの字型の大きなカウンターが手前と奥に二つある。

一つのカウンターに20席はあった。テーブル席もあった。

父は必ず手前の島(カウンター)に座る。そこは娘さんの島だ。私が当時23、4歳だったが、娘さんは40歳前後だろうか。釣りバカ日誌のみち子さん(石田えり)みたいな元気で明るく色っぽい人だった。

奥の島は、みち子さん(笑)のお父さんのテリトリー。それぞれの島が常連客で賑わっている。

みち子さんは、父に気さくに話しかけ、父も喜んで応えた。

ここで父の性格を。父は私とそっくりで陽気な自由人。父といると私は安心する。

 

では、まずはビールで乾杯。

 

そしてわからないくらい沢山メニューがある中、父が勝手に頼む。

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焼き鳥やら煮物やら、何を食べても美味い。父は次に熱燗を頼む。私はひたすら生ビールを飲む。

ほぼ満席の店内は、脂の匂い、炭の匂い、酒の匂い、タバコの匂い、客の声が奥の島からも混ざって、何とも言えない雰囲気を醸し出す。

 

とにかく居心地がいい。

 

みち子さんは客のオーダーを聞き、すかさず伝票に書く。他にも島の中に店員は何人かいたが、客は皆、みち子さんが目当てだ。

忙しいみち子さんに父は話かける。みち子さんは笑顔で応える。 

 

居心地がいい。

 

父は一通り食べ終わると、すぐ席を立つ。長居は決してしない。

名残惜しいが、みち子さんに挨拶をし、父と一緒に出る。

 

脂と炭と酒とタバコの匂いに包まれて、私たち親子は家路に着く。

 

そんな父との思い出の店。

 

私はぼんやりとしかその場所を覚えていない。今、父に聞いたらわかるだろうか。

 

いや、兄が教えてくれた。

残念ながらその店はもうないと。

 

だが、大好きな父との思い出はいつまでも心に残っている。色褪せずに。