長尾美紀のブログ

全てを賭けて

反抗期の終わり

昨日は母(実母79歳)の誕生日だった。母は名古屋で一人で病んでいたところを10年前に京都へ呼び、私の家の近所に住まわせている。今は精神の元気を取り戻し、毎朝うちへ来て庭掃除と犬のブラッシングをするのが日課だ。

 

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数年前、母の誕生日プレゼントとして、小ぶりな薔薇のブーケを渡した。

 


すると、一言目に「こんなのいらん」と。

私はカッチーンときたが、何も言い返せなかった。

 


母は「部屋が狭いから花一輪でちょうどいい」と言ってたのを、私は無視して渡したからだ。

 


昨年のある日、うちで犬と長時間の留守番をしてくれた母に、悪いと思って、晩御飯用に買ってきた肉屋の揚げたてトンカツを「いるか?」と聞いた。

 


「欲しい」と。

 


実は分けたくはなかった。晩御飯が足りなくなるからだ。

急に私のスイッチが入った。 

 


「あげるけどね『脂っこくて胃もたれした』とか言わんといてね。お母さん、人があげたものにケチつけるやろ。明日『美味しかったけど、胃がもたれたわ』なんて言わんといてね。自己責任で食べてね。」

 


とすごい剣幕で攻め立てた。

 


「そんなに怒らなくても…」と驚く母。

 


昨日、大人になった私は「お誕生日おめでとう。何か欲しいものある?」と聞いた。

 


「貼るカイロが欲しい」と母。

 


1日3枚使うらしい。

貼るカイロ(しかも桐灰)を90枚プレゼントした。それでも1ヶ月分だ。

 


「これ高いやつだね。ありがとう。」と喜ぶ母。

 

しかも、誕生日だからと言って庭掃除には来ず、朝から山登りに行った。


ふふふ(笑)


やっと私の反抗期が終わった。

 

母を悲しませると思って、言いたい事を言えなかった私。(薔薇のブーケの時)

 

でも言えるようになった私。(トンカツの時)

 

そして、母の欲しいものをあげたいと思ってあげた私。(貼るカイロ)

 

私が妄想で作った悲しむ母は、私が妄想で殺しておいた。

 

すると、母は自由になって好きな事をする。

こういうカラクリを早く知りたかったな。

 

母は幸せでしかない。

昨日の母の誕生日は、私が初めてそう思えた日だった。

 

 

余談)トンカツのくだりを聞いていた次男(高1)が私に向かって一言。

 

「あげなければいい」

 

次男の言う通り(笑)

バーボン

私は、短大入学を機に名古屋から大阪へ出てきた。そして、カルチャーショックを受けた。

 

講義中それは起きる。生徒が手を挙げ「せんせい〜」と質問する。これまで聞いたことのないイントネーションだ。

 

通っていた短大は、4年生大学とキャンパスが同じで、地方からも学生が集まっていた。

 

しかし講義中、発言する学生達は主に地元大阪の子だった。今から考えると、地方の子も質問していたかもしれない。ただ、私に残した印象は大阪弁に全て乗っ取られたのだ。

 

それが私が受けた初めてのカルチャーショックだった。

 

でも、仲間がいた。学校からほど近い民間経営の女子寮に入ったので、新潟や山口といった地方出身者と仲良くなった。

 

その一人が大阪出身の子と仲良くなり、ある日「アメリカ村」へ連れて行ってもらった。 

 

大阪の「みなみ」と呼ばれる地域にある「アメリカ村」は18歳の地方出身者にとって、それはそれは刺激的な街だった。

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つづく

 

 

 

 

父と思い出の焼き鳥屋

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今日の話は父との思い出。

 

まず、ここから話そう。

 

私の生まれは愛知県春日井市。小学生の時、父の仕事の関係で名古屋市内に引越し、高校卒業まで名古屋市内に住んだ。

短大は大阪へ。あまりにも居心地がよく、そのまま大阪で就職し、満三年で退社後、名古屋へ戻った。

それから今の夫と結婚するまでの約三年間が父と大人の交流ができた唯一の時間だった。

なぜなら、父は若年性の認知症になり、今はグループホームに入っている。私や兄を認識し話はできるが、何をどこまでわかっているのか、さっぱりわからない。ちなみに母とは離婚している。

 

では前置きはここまでにして、そんな父と飲みに行った店の話をしよう。

 

名古屋の中心部から少し外れた古い店が並ぶ街にそれはあった。

自宅から車で10分とかからない距離だった。

父は水道工務店を経営していた。社長だ。社員は母一人(笑)

よく働く父で、早朝から現場へ向かった。仕事はきっちりする。肉体労働だった。55歳の時胃がんで胃を取るまでは、ムキムキマッチョだった。私のマッチョ好きはファザコンからきている。

そんな父の楽しみは食事だった。

美味い店をいくつも知っていた。

子どもの頃に連れて行かれたのは、台湾ラーメン屋や網焼きの焼肉だった。

今日紹介する店は、焼き鳥屋とでも言うのだろうか。

暖簾をくぐると、一目で広い店だとわかる。元々は市場とかだったのではないか。

そしてこの店にはかなり特徴的な作りがある。店内に島が二つあるのだ。コの字型の大きなカウンターが手前と奥に二つある。

一つのカウンターに20席はあった。テーブル席もあった。

父は必ず手前の島(カウンター)に座る。そこは娘さんの島だ。私が当時23、4歳だったが、娘さんは40歳前後だろうか。釣りバカ日誌のみち子さん(石田えり)みたいな元気で明るく色っぽい人だった。

奥の島は、みち子さん(笑)のお父さんのテリトリー。それぞれの島が常連客で賑わっている。

みち子さんは、父に気さくに話しかけ、父も喜んで応えた。

ここで父の性格を。父は私とそっくりで陽気な自由人。父といると私は安心する。

 

では、まずはビールで乾杯。

 

そしてわからないくらい沢山メニューがある中、父が勝手に頼む。

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焼き鳥やら煮物やら、何を食べても美味い。父は次に熱燗を頼む。私はひたすら生ビールを飲む。

ほぼ満席の店内は、脂の匂い、炭の匂い、酒の匂い、タバコの匂い、客の声が奥の島からも混ざって、何とも言えない雰囲気を醸し出す。

 

とにかく居心地がいい。

 

みち子さんは客のオーダーを聞き、すかさず伝票に書く。他にも島の中に店員は何人かいたが、客は皆、みち子さんが目当てだ。

忙しいみち子さんに父は話かける。みち子さんは笑顔で応える。 

 

居心地がいい。

 

父は一通り食べ終わると、すぐ席を立つ。長居は決してしない。

名残惜しいが、みち子さんに挨拶をし、父と一緒に出る。

 

脂と炭と酒とタバコの匂いに包まれて、私たち親子は家路に着く。

 

そんな父との思い出の店。

 

私はぼんやりとしかその場所を覚えていない。今、父に聞いたらわかるだろうか。

 

いや、兄が教えてくれた。

残念ながらその店はもうないと。

 

だが、大好きな父との思い出はいつまでも心に残っている。色褪せずに。

 

 

 

 

 

 

 

教えたくないお酒

あぁ、今日のお酒は教えたくない。

なぜなら、私がここぞという時にサプライズでプレゼントするお酒だからだ。

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なので意地悪だが、名前は最後に紹介しよう。

まずはヒントを。

それは、果樹酒だ。原産はフランス。ボトルがおしゃれ。

あぁ、やっぱりこれで終わりにしたい。

でもまぁ、それでは話にならないので続けよう。

そのお酒との出会いはこうだ。

私たち夫婦にはお仲人さんという存在がいる。社会的にも立派な方だ。毎年、元旦に家族揃って年始の挨拶に行く。

すると、お屠蘇から始まり、大吟醸などの日本酒、シャンパンやロマネコンティなど、ありとあらゆる種類のお酒を出してくれる。

料亭から取り寄せた豪華なおせち料理を頂きながら、私はここぞとばかり飲む。

そして、毎年必ず知らないお酒を飲ませてくれる。その中の一つが今回紹介する果樹酒だ。

まず見た目よし。女性が好むボトルのデザインだ。

そして味も裏切らない。フルーティで飲みやすい。ジュースとまではいかないが、サラッとしている。

一人でボトルを空けられる自信がある。

さらに言うと梅酒に近い。いや梅酒だ。フランス産の梅酒だ。あぁ、答えを言ってしまった。

でも日本のそれとは違う。

どことなく上品。

なのでプレゼントに最適だ。

なんと日本メーカーが販売している。

サントリーだ。

「プラム リキュール ド フランス プルシア」

酒屋に置いてるかどうかはわからないが、ネットで買える。

はい、終わり。

っていやいや。

そんな事で、毎年楽しみにしているお仲人さん宅訪問だったが、ここ2、3年はもうご挨拶に行っていない。

高齢になられて、私たちの相手ができなくなったからだ。

でも、私は古き良き日本のお正月をお仲人さん宅で学んだ。

まず門に国旗掲揚。そして門松。

床の間にはお軸。さらに大輪の菊が生けてあり、長い柳も垂れている。

お屠蘇も本格的。朱塗りの三段重ねの盃で頂く。

お仲人さんは和服だ。私は毎年その時の一張羅を着る。

そして、私達家族以外にも何家族か呼ばれ、それはそれは賑やかだ。

そんな中、私はひたすら酒を飲む。

それがお正月恒例だった。

だが一つの時代が終わろうとしている。

純日本空間で頂く「プラム リキュール ド フランス プルシア」は格別だった。

そんなプルシアと私の特別な思い出。

 

 

 

 

 

大草原を渡る風 パンペロ アニバサリオ

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24、5歳の頃、キャンプへ行った。

どこのキャンプ場だったのか、今では全く思い出せないが、集合場所は大阪だったと思う。

メンバーは、全員で8人。当時まだ交際中だった夫と、夫の友人Kファミリー(夫婦と子ども1人)、夫の友人でテニス仲間の自由人ゆたちゃん(男性)、そして多分ゆたちゃんの友人だったと思われる私より少し年上の女性2人。

午後、まだ明るいうちにキャンプ場に着いた。ビール片手に早い目の晩御飯を皆で作って食べた。

すると、ゆたちゃんが素敵な皮袋を鞄から出してきた。それは茶色いヌメ革の巾着だった。その巾着の中から、丸く背の低いボトルを取り出した。ゆたちゃんはそれを「ラム酒だ」と言った。「パンペロ アニバサリオ」というベネズエラのプレミアム・ラムだった。

それは初めて味わうお酒だった。最初の口当たりは甘く、飲むほどに深みがあり、芳醇でなめらかな味わいだった。私はロックで飲んだ。ツーンと鼻に抜ける香り。アルコール度数は40度だった。

気がつくと、すっかり夜の帳が下り、辺りは真っ暗だった。Kファミリーの子どもはとっくにテントで寝たようだ。大人達はランタンの灯りに集まり、それぞれのペースで飲み、喋り続けた。

ラム酒の美味しさに、私は調子に乗ってしまった。何杯飲んだ頃だろう。急に気分が悪くなった。

私は一人でトイレへ向かった。トイレは遠い。気分が落ち着くまで、しばらくトイレで休んだ。そしてテントに戻ろうとした。

ところが、すんなり自分達のテントまで帰れない。暗くて道がわからない。そこは大きなオートキャンプ場だった。ふと見上げた先には満天の星空があった。何度も道を間違えながらフラフラとした足取りでやっと自分達のテントに戻った。

戻ってみると夫がいなかった。ゆたちゃんによると、なかなか帰ってこない私を心配して探しに行ったらしい。

行き違いだ。

私はどれぐらいトイレで休んでいたかもわからないし、どれぐらい道に迷っていたかもわからなかった。大人しく、夫が戻るのをテントで待った。

しばらくして夫は戻ってきた。なんと女子トイレの中まで探したらしい。トイレから出てきた女性に、個室に私がいないか聞いたとのこと。あぁ、申し訳ない。

残念なのか、ラッキーなのか、夫はほとんどお酒が飲めない。この時もシラフだった。当然ながらラム酒やほかのお酒もほぼ飲んでいないと思われる。

私が調子に乗った飲み方をしていても、未だかつて夫に怒られた記憶がない。夫はいつでも酔っぱらいの私の介抱ができる頼れる男だ。

さて、パンペロ アニバサリオの「パンペロ」とは社名だそう。「大草原を渡る風」という意味らしい。

では「長尾美紀」とは、「大きなキャンプ場で行方不明になる女(夫の介抱付き)」という酔っぱらいの事だ。

そんなラム酒と私の楽しい思い出。

「お母さんを悲しませてもいい」

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「お母さんを悲しませてもいい」

ってなおちゃんが私に言えって言うの。

 

なおちゃんは心屋さんのカウンセラーね。昨年あるお茶会でカードリーディングしながらそんな話になって。

 

で、その時の私は口を固く曲げて

 

「お・か・あ・さ・ん・をかなし*****」

って最後まではっきり言えなかった。

 

実はこれ、夫にもやってて。

 

嫌な事とか「嫌」って言えなかったし、そんな大げさじゃなくても、自分の本当の気持ちは言ってこなかった。

 

なぜなら、夫を悲しませると思ってたから。

 

でも何年かに一度、火山が噴火するように、「あれが嫌だった」とか「これが嫌だったとか」を全出しするのね。

 

そんなのその時に言わなきゃ、覚えてないような事。

 

って、結局言ってる(笑)

 

そしたら、私が「あれが嫌だった」と言うたびに、夫はそれらを改善してくれたの。

 

少し前も私は「殺す・死ぬ」とか、めっちゃ極端な話をしたのに、夫は根気よく言い分を全部聞いてくれたの。

 

母親は私の言うことを全く聞いてくれなかったけど、夫は母親とは違ったわけ。

 

母親は私の事をあれやこれや口出しするけど、人の話は一切聞かない。

 

夫は基本的に私のする事には何も言わないし、言うのは生活の些細な事。(掃除しろとかね)そして、常に不満を改善してくれる。

 

この夫のお陰で、やっと「お母さんを悲しませていい」って思えたの。

 

夫の愛があれば、お母さんなんて。(まっお母さんは好きですけどね)

 

夫の大きな愛に包まれた私は最強だし、さらに「夫を悲しませてもいい。」って思えた。

 

だってね、無理だったから。

 

3年前、飼ってた先住犬を4歳で病死させたの。死んだのは病気のせいで、誰のせいでもないかもしれない。でも、私のせいだと思ってる。

 

夫は近しい身内を高校生の時に亡くし、凄い喪失感を持ってるの。

だから、私は結婚した時「これ以上、夫を悲しませてはいけない」って思い込んでた。

 

でも、夫が溺愛してた先住犬は死んだ。

 

夫の悲しみは、子ども達が「お父さん大丈夫?」と私に言ってくるくらい深かった。

 

だから、夫を悲しませないことなんて、結局

私にはできない事だった。

 

未だに夫は犬の月命日だとか言って先住犬を偲んでる。

 

結局、人の気持ちのコントロールなんて不可能という事。

 

それがわかった今、先住犬には感謝しかないし、お母さんだって夫だって悲しませていい。

 

まっ、わざとするわけじゃないからね。

 

今なら大きな声で言える。

「お母さんを悲しませてもいい‼️」

 

夫の愛、最強(笑)

 

 

 

 

ただ受け止めることの難しさよ

今朝、犬の散歩で目にしたある事が、しばらくわたしの心をいっぱいにし、やるせなくなって、泣きながら帰宅しました。

 

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帰宅した私に、朝から庭掃除に来てた母(実母77歳)が、いつものようにネガティブワールドな話をしてきました。

 

もうすぐ母の住んでるアパートの更新手続きがあります。家賃を出してるはうち(私の夫)。更新料もうち。アパートの管理会社が変更され、それに伴い、火災保険は管理会社から一括で入ることになりました。その支払いもうち。

 

前の火災保険の満了が今年6月まで。新しい保険が今年3月から。なので、3ヶ月分の保険料が無駄になります。

 

で、特にうちとしては管理会社に金返せとか言わないわけですよ。だって仕方ないから。

 

なのに、お金を出していない母が余分なお金について「くやしい」だの「勝手に一括で火災保険に入るのやめてほしい」だの、朝から怒ってるわけですよ。

 

私としたら「?」なわけで。

 

お金出してないのに、何を怒ってるの?

それを怒ってどうにかなるの?

 

例えば管理会社に連絡して、

 

「前の保険期間が6月まであるから、新しい保険は6月からにしてほしい」

 

とか交渉するならわかるけど、それはいう気はないらしい。

 

ひたすら愚痴。

 

で、私は

 

「それお母さんは痛い思い一つもしてないから、関係ないよね?」

 

「うちはそれを管理会社に言おうとも思わない。」

 

「じゃ、お母さん考える必要なくない?」

 

と。

 

はぁー。もう毎度のパターンなの。

 

なので、はい、スタート。

 

「お母さん、お金払ってないから関係ないじゃん。」

 

「そんな事考えるより、楽しい事考えな。」

 

「山登り、楽しいでしょ。」

 

「美味しいもの食べたいとか、考えたら?」

 

「お母さんは自分なんてって言うけど、あなたは一人じゃない。私や私の夫、義父という大勢に守られてる。」

 

「だから、そんな事で悩まないで。」

 

(この間もネガティブな発言は続きます)

 

「お母さんはさ、いるだけでいいんだよ。」

 

「元気で楽しく過ごしてたら、それでみんな幸せなんだから。」

 

と。

 

まだまだたくさん伝えましたが、こんな感じで、母親を褒めました。

 

そして、はたと気づきました。

 

朝、犬の散歩で見た光景に対する私の感情と母の感情は全く同じだったんです。

 

それは

 

自分では、力の及ばない事への憂い。

 

ここからは、やや刺激的な内容ですので、自己責任でお読み下さい。

 

 

私はベジタリアンでもないし、めっちゃ肉食だし、ジャンクフードも添加物も普通に食べます。

 

しかし、朝から見た光景は…

 

近所の、山から続く植木屋さんの土地に設置された、イノシシをとる仕掛けの檻の中に、若い可愛い鹿が入っていたのを見てしまったのです。

 

最初は「可愛い」だけでした。

 

しかし、その先の鹿の運命を考えると、安易に想像できました。

 

近所の犬友のおじさんが通ったので、それを聞いてみたら、おじさん曰く、植木屋さんの土地なので、然るべき対応がされると。

 

私は見なきゃよかったと。

 

普通に肉を食らうのに、若い鹿の行く末を思い、涙が出ました。おかしいね。

 

そして、

 

私が何かできるわけではない。

仕方がない。

 

と言い聞かせました。

しかし、涙は止まりません。

 

まてよ、

然るべき対応は「逃す」かもしれない。

イノシシなら処分されるかもしれないが、鹿は解放されるかもしれない。

 

と、私とは全く無縁のこの問題に、一人考えを巡らせていました。

 

そして、

 

「私はあの鹿が殺されるのが嫌なんだ。」

 

と私の感情を抱きしめました。

 

そして、母との会話。

 

「余分な保険料が嫌だ」と同じだなと。

 

抱いた感情は仕方がない。

それを本人が感じきるしかない。

 

母も保険料が無駄になったことが嫌なだけ。

私は鹿がどうこうなるのが嫌なだけ。

 

その感情は人がどうこうする事はできない。

ただ感じて、サヨナラするしかない。

 

母をすぐ責めたくなるけど、

責める必要はない。

 

母の気持ちを

ただ受け止めればよかっただけだ。

 

私は反省なんてしない。 

次に生かそう(笑)